あと何年生きられるか知らないけれど

私らしく、感じたことを前向きに(*^^*)

3月17日 まだ蘆牙を見たことはないはず

いずれ主の手の中に有り蘆の角

蘆牙(あしかび)という季語を考えていました。見た記憶がないのです。子どもの頃の環境は山はあっても川や池のない環境でしたし、この時期はあまり遠出をすることが無かったからでしょうか。

受難節の聖書は主イエスの裁判の物語を読みます。その時の主イエスは王の象徴として葦を持たされていたのです。

蘆の角、葦の新芽は暖かくなるとどんどん伸び、そして季節と共に枯れて行く、刈り取られていくものです。それを無理やり持たされた主イエスは投げ捨てるのではなく、しっかり持っている、それが裁判の様子です。

 

そんなことを考えていた私にメールが来ました。その方のお母様の愛唱歌は「いつくしみ深き」だそうです。

    世の友我らを捨て去るときも

    祈りにこたえていたわりたまわん(3節後半)

やはり主の手の中の葦をイメージさせる気がします

 

蘆牙やいつくしみふかきてふ讃美



f:id:kogorou21:20220317210147j:image

17日の歩数    3586歩

17日の走行距離    61km