いずれ主の手の中に有り蘆の角
蘆牙(あしかび)という季語を考えていました。見た記憶がないのです。子どもの頃の環境は山はあっても川や池のない環境でしたし、この時期はあまり遠出をすることが無かったからでしょうか。
受難節の聖書は主イエスの裁判の物語を読みます。その時の主イエスは王の象徴として葦を持たされていたのです。
蘆の角、葦の新芽は暖かくなるとどんどん伸び、そして季節と共に枯れて行く、刈り取られていくものです。それを無理やり持たされた主イエスは投げ捨てるのではなく、しっかり持っている、それが裁判の様子です。
そんなことを考えていた私にメールが来ました。その方のお母様の愛唱歌は「いつくしみ深き」だそうです。
世の友我らを捨て去るときも
祈りにこたえていたわりたまわん(3節後半)
やはり主の手の中の葦をイメージさせる気がします
蘆牙やいつくしみふかきてふ讃美
17日の歩数 3586歩
17日の走行距離 61km